Posts tagged 東日本大震災

Posted 2 years ago

I have lived in Iwate since 1996 and until the March 11th earthquake and tsunami I had never been to the town of Otsuchi only sixty so miles away. It’s a small fishing town that has seen devastation at unimaginable scale. We have done many relief runs there to date to help the survivors get one step closer back to normalcy. As you can see in the picture above much help is needed for many months or many years to come.

However, beyond the tragedy there is a friend far away across the Pacific blue at the same latitude east called Fort Bragg, California. How this town, that is so isolated even for Iwate, became a sister city across the Pacific many thousands of miles away stands testament to the human sprit of curiosity out of one’s own personal tragedy. It is a poignant story of how two cultures can come together…

http://www.otsuchi.org/the-touching-story-of-our-history/

Posted 2 years ago

Despite the immensity of the tsunami disaster and the damage it has done on the scenic coast, Iwate is still a beautiful place. This photo was taken on Sunday, 4/17 on our way to Otsuchi. Isolated to begin with you must travel over a mountain pass spanning the Kitakami Range.

At nearly 2000 meters Hayachine is Iwate’s second highest peak.

Posted 2 years ago

Team Rias: 将棋教室内定!

5月3日(火)将棋教室内定!13:00開始予定/場所 大槌町内(詳細未定)
4月17日(日)大槌町教育委員会を訪れ、子ども将棋教室開催のための協議を行った。教育委員会生涯教育課の黒澤さん、大槌北小学校の伊藤先生、本チームの赤塚が参加した。黒澤さん「早く平和に将棋ができるようになればいいんですけどねぇ。5月3日がどんな状況になっているか、私もさっぱり想像できなくて。」まだまだ予断を許しませんが、日本将棋連盟の主催、大槌町教育委員会の後援の形での開催が内定しました。伊藤先生にもこれまでの仲介、この先の情宣等で忙しい職務の合間に頑張っていただきます。初代竜王の島九段(普及の東北担当)、飯塚七段、鈴木環那女流が訪れます。宣伝が難しい状況です。みなさんのお知り合いがいらっしゃいましたら、どうぞお声を掛けてみて下さい。初心者大歓迎。「どうぶつしょうぎ」なる入門用のゲームも用意します!!

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Team Rias Report: 被災者の声

宮古市田老町にて
何か大事なものはないかと思って、少しずつ片付けをしています。怖いのは、みんながこんなことがあったことを忘れてしまうことです。どうかお願いです。この津波のことを忘れないでください。

大船渡市末崎にて
うちは子どもを一人高田で流されたけど、まずこうやって、みなさんの支援を受けて生活できています。それよりも、波を受けてない人は避難所にも入れないで、大変な生活をしています。どうぞその人達の支援をして下さい。

予想外の大津波を目の当たりにして

・・・高田湾に波高15mの波がくる、と考えた住民はいただろうか?・・・

私は、盛岡市から陸前高田市に移り住んでから3年になりますが、幼いころ祖母に明治29年の津波のことは何回となく聞かされていました。広田半島が島になり唯出湾(太平洋側)と高田湾(三日市裏浜)の波が小友町(私の出生地)の駅前のあたりで衝突して水柱があがり、人々を恐怖の底におとしいれ、寺の庭に焚火しながら「南無阿弥陀仏」を唱え、祈願したそうだ、と。だが、今回の津波は現象は同じでも、規模が遥かに大きかったと思います。

私の日課では、昼寝して海釣り(ドンコ釣り)に行く時間帯ですが、当日に限り裏山の小高い所で畑仕事をしていました。報道されている3月11日午後2時46分頃、立っておられぬ程の地震が起こり、畑の土壌、草がモクモクと動き、その時間の長いこと、・・・これは絶対津波だ!と思い、我が家の方に向かって「津波がくる、逃げろ」と叫びました。三々五々人々は私の畑地に集まって来ましたが家族の姿がありません、そのうち太平洋側に目をやり海岸の様子を見ていると、海底が茶褐色に変わり、海水はなくなりました。津波の襲来を告げる現象です。来るぞ!数分もしたでしょうか、防潮・防波堤がなんのその、山波となって波が押し寄せ、海岸近くの家々、作業小屋、防潮の松の木、漁船など、腹をえぐるように不気味な轟音、バリバリと樹木、知人の家、親戚の家が倒壊し、陸上めがけて押し流されましたが、その時点で我が家はまだ無事でした。ところが、反対側の高田湾の方を振り向いたら、太平洋側の波と衝突して水柱となり、小高い丘から見ても天を覆うような、入道雲のような波が我が家の方に向かって来ました。みるみるうちに、トタンの屋根の部分だけ残して水没してしまいました。隣家の家も流れはじめ、3軒の母屋が引き波のあと、わが家の前の水田に居坐っていました。

第一波の波が去った後は、チームリアスの方々の見たとおり、見るも無残な残骸の山、自動車、舟、屋根、家財道具などなどが散乱して水田のセピア色は見るかげもありません。幸いわが家族は全員無事に難を逃れ得たのは、不幸中の幸いというほかありません。

予想外の大津波とは結果論ではないかと思います。特に高田町の被害の大きかったのは、昭和8年の三陸津波、昭和35年のチリ津波の経済的心理要素が逆説的に「ここまでは来ないだろう」という楽観・油断をもたらしたのではないだろうか、自然災害の対応への根本的な考え方の転換が必要と思います。

最後に、物心両面からご支援下さった海外は勿論、全国各方面の方々に衷心より厚く御礼申し上げます。

Posted 2 years ago

Team Rias 活動から2

4月16日(土) 陸前高田市広田半島大船渡市末崎 
4月17日(日) 大槌町‐山田町大沢・川代‐宮古市千鶏‐宮古市田老町〈小倉・濱田・赤塚〉

野菜類(ジャガイモ・人参・玉ねぎ・大根・茄子・ピーマン),リンゴ,リンゴジュース/調味料(味噌・醤油・塩・めんつゆ・マヨネーズ・ソース・砂糖)/その他(だし・煮干し)レトルトカレー(インド風,甘,中辛・銀座カレ),カップラーメン(4種類),カップ春雨,おやつ類やコーヒー,のり, などなど/燃料・・・ガソリン 

(広田半島・重茂半島)
陸前高田市→濱田氏のボランティア登録(カウンセラーの養成が得意分野)。小友町避難所(野菜類を中心に・・・缶詰はあるが、生の肉や魚がほとんど来ない),広田町避難所(野菜類、ガソリン),末崎戸別20戸ほど訪問(カップラーメン他、野菜類)・・・陸前高田市のボランティアセンターでは岩大や県立大の学生が大活躍。盛岡三高ラグビー部の生徒「力仕事が得意。母(住田町出身)に連れられてきました。」チームリアスの車の同乗し、がれき撤去の活動場所へ(車内ではA教授による進学指導(岩大への勧誘)他)。

大槌町→5月3日将棋教室の打ち合わせ。濱田氏のボランティアの紹介。(ともに教育委員会)大槌高校で炊き出しのラーメンに舌鼓(熱烈な勧誘により)。平打ち麺とうんまいチャーシューに、「お代り!」したかった。山田町から戸別訪問。大沢にて、偶然に女子高卒業生の祖父母宅(思わず握手)、川代80歳おばあちゃん、など。石浜本部(リンゴジュース他)みな仲がいい。千鶏本部(野菜類、調味料、ガソリン他)。重茂半島がこれほどとは想像できなかった。千鶏は小さな沢に沿って津波の爪痕かなりの高所まで。宮古湾に面してへつる様にあった集落は跡形もなし。通いなれた道だけにショック。田老に住む、本校生徒の祖父母宅で歓談。買い物になかなか出られないとのことで物資の支援を行った。岩泉経由で帰校。

盛岡のスーパーの品揃えが改善され、買い出しがかなり楽になる。

Posted 2 years ago

Team Rias 活動から1

4月9日(土) 気仙沼市方面/4月10日(日) 岩泉町小本‐宮古市田老‐宮古市‐山田町‐大槌〈青井・小倉・笹田・クィンラン・赤塚〉

基本グッズ・・・野菜類(ジャガイモ・人参・玉ねぎ・白菜・大根・ネギ・菜っ葉),リンゴ,ポンカン/調味料(味噌・醤油・塩)/その他(納豆・インスタントラーメン) 
オプション・・・レトルトカレー(インド風,甘,中辛),魚肉ソーセージ(ベルマーク付),鰹節,煮干し(気仙沼産!),スティックコーヒー 

食品以外・・・タオル(大人気),入浴剤(今回はいま一つでした),綿棒,おしりふき 
燃料・・・ガソリン(欲しいのだけど大きな避難所では誰に分けるか、難),軽油(車や船),灯油(県北ではまだまだ必要)⇒種類と量の選択が
なかなか難

気仙沼市では事前に物資持参の避難所を決め(気仙沼市出身者のアドバイス)提供する。実際に行ったところ、避難所を退去した方が街に戻り、その方々に十分な物資が行きわたっていないという感想。がれき片付けのために、作業着、シャベル、長靴、軍手などを必要としている。

あくる4月10日(日)は被災地で片付けに励むご家族を中心に声かけをして、予めビニール袋に小分けした野菜類や果物を配布。必要に応じてその他の物品を提供した。家族ごとの小分けが良い感触で、次回にも採用したい。

最後の場所で「灯油はないのか」すでに配布してしまっており、なかなかうまくいかない。「ローソクありませんか」の声も。実は震災以来1カ月、電気なしの生活とのこと(僅か数日の停電に根を上げた自分)。何でも屋になりたいが、持てる量に限りあり。

Posted 3 years ago

「岩手県山田町」The Fishing Village of Yamada | All along the Iwate coast the scene repeats itself over and over. It’s a distance that covers more than 200km. However, some places are slow to cleanup. Yamada is one of them.

As of 4/10 this small fishing village was still without power or phone service. Cars and other large debris were still scattered everywhere. Destitution and a sense impoverishment filled the atmosphere. Fisherman who were well off to begin with faced the daily grind of begging for handouts. Many of them refused to go into shelters and make due with what personal items had survived. This place just didn’t feel like Japan anymore, but rather a third-world fishing community.

I had heard that there were undesirable elements of society that had taken over some parts of the community through extortion and threats (The element was originally there.), but those rumors were just hearsay for now. We were there to help people who sought need for our assistance.

Posted 3 years ago

「岩手県田老町」Taro, north of Miyako

jprelief

Posted 3 years ago

Team Rias First Official Humanitarian Aid Run

チーム結成後初の行動 4月3日(日)、小倉、赤塚など計5名で、小倉号にて陸前高田市と大 船渡市を回った。大きな避難所では調味料が不足との情報、ひと抱 えのポリ樽にみそを用意。将棋セットの評判はどうか。燃料は灯油 のみ3缶用意(ガソリン缶が、無い!)。盛岡のガソリン事情が大 分改善されたが、現地はどうか、など大いに不安。1週間でどう変 わっただろうか。 国道343号線にてアプローチ。国道340号線との合流点、下矢作にて渋 滞。やはり車の数は増加傾向。幹線道路わきのがれきは随分と減っ ている。まずは高田一中へ。県内の高校生がボランティアに来ている。 一関修紅高校のバレー部、水沢高校のサッカー部。頼もしい。物資を下ろ し、小友地区へ。前回と同じ避難所を回ったが新しい方との出会い があり、前回とは違う話を聞くことができた。泊地区では、なには ともあれガソリンが欲しいとのこと。 大船渡、赤崎経由で綾里方面へ。赤崎付近の建物にこびりついた油 の跡が生々しい。綾里の町では『ここから津波浸水予想域』に、被 害地が一致していることに感心。ただ、今回は予想域より広い範囲 に被害があった町が多い。 A地区ではすでに避難所が解散になり、物資の配給はあるものの津 波に汚れた家に寝泊まりせざるを得ない。多くの家で片付けを急い でいた。おやつ程度の物でしたが、何軒かにお配りできた。お風呂 はふろが使える家で2,3日に一度お借りできるとのこと。早く生活 が安定することを祈る。配送の最後は越喜来の支援本部。食材は結 構あるが、とにかくなま物が不足。野菜は大歓迎。おにぎりに付け るゴマ塩、のり、梅干しも不足している。「是非提供下さい」との こと。今回は崎浜までを予定するが、やはり距離があり過ぎた。三 陸方面はしばらく回れないかもしれないが、次回は是非先端まで行 きたい。

Posted 3 years ago

Team Riasの日記 (陸前高田市唐桑半島など)

3月26日(土)

「メンバー 松本 小倉 フェリス」

支援物資 燃料(ガソリン5?、灯油4缶、練炭2山),生活用品(子 供おむつ、大人用おむつ、生理用品、軍手、Tシャツ、ブリーフ、靴下、 所洗剤、生徒の作ったエコタワシ、ラップ、ビニール袋、入浴剤、子供古着、 子供用靴、長靴10足、トレペ、キッチンペパ、タオル、電池、ライタ、市販 薬),食料(リンゴ、飲料水)その他(学校図書館から頂いた絵本や 雑誌、おもちゃ、縫いぐるみ) 国道340号線で陸前高田を目指す。市内手前6キロ付近から津波で運 ばれた瓦礫が川岸に散乱し始める。道路の両脇には住宅や車、木材 の破片が4、5mの高さで山積。かつてここにどのような風景があっ たのか、メンバー全員絶句。市街地中心とおぼしき場所は平坦で何 も無い。所々に鉄筋の残骸。物資不足を予想し小規模な避難所を目 指す。唐桑半島に入り、中井老人憩いの家へ。ここではガソリン燃 料の発電機でかろうじてテレビを灯し情報を得ていた。一帯が停電 し、断水状態。情報はここでのみ。積んで来た燃料類、生活用品な どをここで下ろした。高台にあるので住宅の多くは無傷で、生活は 自宅でという。多くは高齢者であった。月山神社、仲町コミュニティセンター では支援物資が一応足りていた。希望は、小学生から大人までの服 や、中学年以上の玩具、本など。道路沿いには手書きで避難所を知 らせる表示が出ている。奥まった公民館に行く。途中に保育園が あったので今泉地区と思われる、24世帯が避難している小さな公民 館。電気、水道はダメ。水は沢から引いて使っていた。小学低学年 までの子供たちが多数いたので、積んで来た子供服、靴、長靴、絵 本を選んでもらう。直接子どもたちに渡す事が出来て喜ばれた。公 民館そばまで津波が来て、100メートルも離れず瓦礫の山。他県の 避難所衛生調査の方々と情報交換。最後に、高田一中の本部に届け た。場所により必要な物資も違い、また、日数が過ぎるにさらに差 は開いてくるだろう。情報を得ながら持って行く物資を厳選しなけ ればならないと感じた。